清国日本人 燕塵、津門
下の文は、明治四十四年八月三十一日發行の雑誌 『燕塵』 第四年 第八號 (第四十四號) 北京 燕塵會 に掲載されたものである。 ポールペリオの新疆探撿略記 支那新疆地方の沙中に堙沒せる史蹟の探撿に就ては、數年以來歐洲學者の注意を攢め、數次の探撿旅行…
敦煌石室中の典籍 救堂生 佛國西東方考古學校(在東京河内 トンキンハノイ )教授 Paul Pelliot (伯希和)氏が、甘肅省敦煌縣石室中に藏せられて居つた經卷古文書類を得て、本國への歸途北京に滯在して居られるとのことを聞いたので、早速氏を八寶胡同の假…
津門 第三巻 第六號 〔明治四十五年六月十五日発行〕 〔口絵〕 上圖は去る明治三十八年六月三日海軍戰勝記念祝日に於ける天津日本租界大和公園の眞景にて前面模造軍艦は當時居留商有馬組、矢尾工程局、淸水洋行、旭組、中村受負業五人の寄附に係るもの其他模…
津門 第貳年 第一號 〔明治四十四年一月十五日発行〕 口絵 西藏達賴喇嘛の宮殿、支那風俗高脚 西藏拉薩に於ける達賴喇嘛の宮殿或は普陀羅或は布達刺と稱す 西藏拉薩は圓形にして周囲一里或二里位あり 布達刺は其中央に在り本國は南より見たる正面也拉薩は神…
津門 第四号 〔明治四十三年五月十五日発行〕 〔口絵〕 ・北洋政法專門學堂〔北洋法政專門學堂〕(記事參照) ・紫竹亭 (記事參照) ◎評論 淸國の華と謂はん乎(一) 各省の匪賊と百姓一揆 編輯小僧 佛字新聞の所論(三) SМ生 經國の大業不朽の盛事論 五…
津門 第一号 〔明治四十三年二月十一日発行〕 〔口絵〕 ・天津日本租界旭街(河野写真館撮影) ・ 同 白河 (同上) 發刊の辭 敢て『燕塵』の後塵を拝せんとうるにあらす、敢て『江漢』の餘流を掬まんとするにもあらす、津門同好の士か職業の異同と年齒の長…
盧溝橋附近の沿革並橋の話 三野生 (五月十七日北京日本靑年會員盧溝橋に遠足す、本稿は當日之を會員に頒付せるものヽの一部に係る) 現今の北京は戰國時代に燕と稱し、降つて唐時代には幽州と稱せり、五代の時、遼は滿洲地方に起り太宗の時は既に幽州を併呑…
天下の同好に告ぐ 燕塵発行の趣旨は筆写を印刷に代へ相互に分て北京に於ける出来事は勿論是れに関係する事々物々大は国家の体戚に関し小は個人の利害に伴ふ所有事件の報道を専らとし傍ら風雅の道を辿りて光風霽月以て俗情を脱し或は奇言怪語を弄して滑稽諧謔…
寫眞畵報臨時増刊第一巻第三編 清國寫眞帖 博文金館發行 ●清国写真 ◎西太后陛下(光沢三色刷) H.I.M. The Empress Dowager of China. 大清国当今慈禧端估康頤昭豫荘誠壽恭欽献崇熙聖母皇太后は清国実際の主権者にて、現皇帝の生母なる醇親王妃殿下の姉に御…